雨宮夕のブログ

音楽と映画と読書と、ひたすらぐうたらする日常

嫌われる勇気 幸せになる勇気

嫌われることは悪いことじゃない、むしろチャンスだ

 

アドラー心理学、一時期流行ってましたね。

ゆうきゆう先生や、色々な有名ツイッタラーやブロガーがアドラー心理学の凄さを語っていた時期もありました。

最近そういうのを見ないのはただただ流行だったからなのか、彼らがアドラー心理学を自分のものとしたからなのか、はたまた流行りだったのか。

 

とにかく今更ですが、5年ほど前に話題になっていた「嫌われる勇気」とその数年後に刊行された「幸せになる勇気」という本を読みました。(正直に言います。流行ってたのでなんだか読みたくありませんでした。アドラー心理学、ナメてました。)

 

著者はアドラー心理学にかなり詳しい(憶測)(でも色んな文献に名前が載っているのできっとかなりすごい人)岸見一郎先生です。

心理学と聞くと難しそうなイメージがありますが、アドラーは一般人でも理解できる言葉で心理学を広めた人です。そしてこれら2冊ともアドラーにハマった青年と、書斎で仕事をする哲人との会話という台本のような形式で、比較的読みやすいです。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 
幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

ゆうきゆう先生の分かりやすくてコミカルな漫画\コミカルなコミック/や、他の「漫画で分かる〇〇!」的なやつでどんな心理学なのかというのは、かじってはいたのですが全部読んでみて中々、いやかなり衝撃的でした。そして非常にグサグサ来ますこの本達。でも正しいんです。矛盾するところが見つからない。あっても分からない。頭悪いんで。(説得力皆無)

 

つまるところ、全ては自分次第なんです。

 

貴方が例えば昔から対等に扱ってもらえず、親から子供扱いされていたり、親の支配下に置かれていたりします。もしくは子供の意見を子供だからといって人としてではなく子供っぽい考えだ、と言うこと全て否定されてきたとか。そしてその影響で少し内気で、恥ずかしがりな性格になるとしますよね?

きっと自分でも(昔から制約の多い生活を強いられてきた。自己主張は悪なんだ。だから僕は内気で色々な事に勇敢になれない。)と思うことでしょう。私もそう思ってしまうに違いありません。

しかしアドラー先生から言わせると「内気になれない、自己主張が出来ないのではない、自分がそのような性格を望んでそのような行動を自らしている。つまり内気になろうとしてなっている。できないのではなく進んでそうしているのだ。」と。信じられないですよね。

 

しかし他の例も考えてみます。

これは実際に本にも載っていた話です。

貴方が親に怒られていたとします。かなりの剣幕で。しかしちょうどその時親の親しい人から電話がかかってくるとしますよね?

すると親は電話に出るなり声色を変えてこう言うわけです「はい、〇〇です〜♩ あら〜△△さんじゃないですか〜どうされたんですか〜?」

そして電話を切って、子供に向き合うなり先程の剣幕に戻ります。

 

しかしこの親は怒りをコントロールできているわけです。

 

なぜか。

子供と、電話の相手とで瞬時に、人によって怒りを相手に投げたり隠したりできているのですから。

 

つまりこの親は子供を自分の怒りによって相手を萎縮させる、もしくは精神的に屈服させようとして意図的に「怒り」という感情を武器にして子供に接している。

らしいのです。

 

いささか信じ難いですよね。だってこれを信じたら今まで自分が人に当たった事がつまり、自分は怒りを制御できてない、相手を意図的に傷つけた、という結論になりますもんね。

 

確かにマインドコントロールでも、一方的に怒ったり、悲しんだり、罪悪感を感じさせたり、などといった手法があります。

つまり感情を相手に当たり散らすということは、イコール恐喝や脅しと同値なのです。(筆者の見解混じってます悪しからず)

 

たまに居ますよね、不幸アピール、DV、ささいな喧嘩だって喧嘩の原因とは関係ない不必要な精神攻撃、人格否定をする人など。

これは相手を傷つける意志をもってした行動なのです。

怒りをコントロールできないのなら今頃怒ったといって人を殺しても許されるはずですよね?

だってコントロールできないのだから。

 

結論を言ってしまえば、全ての行動は自分の意思によって行われ、全ては自分が導いたことなのだと。「トラウマ」は存在しないのだ、と。

そして全ての悩みは人間関係に帰着します。

自分だけの世界なら「孤独」なんて言葉は存在しません。誰もいないのだから。

 

アドラー心理学のミソは「課題の分離」をしながら「他者を尊敬」することなんじゃないかと思います。

この本のタイトルは「嫌われる勇気」です。衝撃的なタイトルですよね。ただこれはド正論で、別に進んで嫌われなさいとか、自己中に生きなさい、とかではなく万人に好かれようとして人に振り回されるな、という意味です。

そして他者の感情には干渉せず、また干渉されず、自分は自分、他人は他人と割り切りながらそれでも対人関係をよくするために、他者を尊敬し、貢献感によって幸福感を得るべきだと。相手が自分のことを好きだから好き、ではなくそれとは関係なしに自分が相手を好きになろうと「決めた」から好きなのです。

矛盾しているように思える方こそ是非読んでいただきたいです。

 

私の理解も一度読んだだけでは不充分ですから、一度時間を置いてまた読み直せたらと思います。

 

どう生きようが貴方を好きな人は好きだし、貴方を嫌いな人は嫌いなのです。

人の目を気にして自分が可愛い可愛いマンは脱却しませんか。

 

都市伝説なんかじゃありません。絶対に人生の全て、世の中の全ては貴方次第です。

 

それではみなさん今日もよい一日を。

 

 

雨宮夕のついったー:http://twitter.com/yu_amemiya